忘れられなくなった元年

私には、礼和元年は忘れることができない日になりました。

6年前にの4月に脳出血を起こして右側が麻痺していた母が5月1日に再び脳出血を起こし、翌日の5月2日の朝に亡くなりました。

2人住まいでしたので私が仕事をしながら介護するのは大変だと言い、ケアーマネジャーや親戚は 特別養護老人ホームに入るように勧められていましたが、母が嫌がるので、私が勤めている間はデイサービスに預けて、その他の時間は私が介護をしていました。

脳出血を起こして病院に入院している間も食事を摂らずに6ヵ月の間に10キロも痩せてしまい、看護婦さんを困らしていました。デイサービスでもお昼は出るのですが、殆ど食べずに戻られてから何時もお腹が空いてと言い、私に軽食を作らせていました。

 

お弁当やホームヘルパーさんのようなサービスもありますが、お弁当は嫌いと言い、警戒心が強くなりましたため、ヘルパーさんを部屋に入れるのもダメでした。

デイサービスでお風呂を入れていただくことも試しましたが、お風呂の入れ方がダメだと言い、家で入ることにしていました(本当は赤の他人にお風呂に入れて頂くのが嫌いなそうでした)。

赤ちゃんでしたら徐々にできるようになりますが、高齢者の場合は反対に症状が悪くなるだけでした。

 一人でトイレに行くこともできないため、朝はデイサービスに送り出し、午後に迎える毎日でした。帰ると軽食を食べてから昼寝をして、私が仕事から帰り、夕食を過ごした後に目が覚めてしまい、夜はよくラジオを聞いていました。

警察や救急車をは掛からすことは無いと思っていましたが、認知症にもなり掛けていたため、時々急に誘拐されているや監禁されているなどを大きな声で怒鳴り始めるので警察にも3回ほどお世話になりました。 痙攣なども起こすため、救急車にも4回ほどお世話になりました。

考え過ぎると気持ちが沈んでいる日々でした。

しかし、天気がよければ毎週末は車椅子を押して散歩に出かけていました。障害者手帳をお持ちだと公園も無料に入ることができるところが多いです。また、赤坂の迎賓館は正面玄関から入れていただけました。 新幹線で伊勢に旅行した時も車椅子用の個室を借りることができました。

 

障害者だから 特別養護老人ホームのベッドに寝かせているだけではやはり可愛そうです。散歩している時の母を顔を見て、他に人たちにそのことを少し伝えることができたと思います。 そんなことを続けていたら、車椅子を押す人を見かけるのが多くなりました。その内、バリアフリー地図やトイレの地図も作成されました。

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大変でしたが、そんな日々を送りしていましたが、5月1日に再び脳出血になり、良く早朝の4時に運ばれた病院から心臓など臓器を制御している脳の部分が出血しているためにもう長くないと言われました。そうして6:10に息を引き取ることになりました。

デイサービス、ケア・マネージャ、病院の人たちなど多くの人にお世話になりました。最初に脳出血を起こした時からもう長くは生きられないと言われていましたが、ここまで生きられたのも彼らのお陰です。

 

この6年の間、障害をもつ高齢者との生活に付いて色々と勉強になりましたので、お役にたてたらと思い、覚えたことを少し書かせていただくことにしました。特に男性の私が急に女性の母のために下着を買いに行くなど生活するために学んだことも伝えたいと思います。