2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

デイサービス

昼間は私が働いているのでデイサービスに預けることにしました。 しかし、右側が麻痺して動けない母を受け入れていただくサービスを探すのに苦労しました。後で分かりましたが本当はケア・マネージャがデイサービスを探すのです。しかし私の場合はただデイサ…

一番困ったこと

母と暮らして一番困ったことは母の下着を買いに行くことでした。 普段から母の下着は見ていないのでどのような下着が必要なのかは分かりませんでした。ただし、今まで来ていた下着は右半身が不十分な母には向いていないことです。 それと病院にいる間は食事…

病院について

母が病院に入院している間に多くの看護婦さんにお世話になりました。多くの人は親切でとてもよくお世話をしてくれましたが、少し意地悪な看護婦が一人いる場合もありました。 入院している間は看護婦に色々お世話になるので母は検査などの短期入院は楽しくし…

母とよく散歩をしました。車椅子だから部屋にこもっていると精神的にも体力的にもよくないので天気が良ければ散歩に行くことにしていました。 最初の内は他の車椅子の人を見かけることはあまりありませんでしたが、その内に見かけるようになりました。 更に…

悲しいのは母が亡くなったことだけではないのかも

最近になりまして思うことは悲しいと思うのは母が亡くなったことだけではなく、これまで母のために自分の人生を変えたことからもあります。ただ老人ホームに母を預けていたらこんな思いをしないと思います。 やはり朝、早く起きて出勤して、母のデイサービス…

怪我をしないように注意する

母はリハビリ病院で少し動けるようになりましたら、以前のように自分でトイレから自分のベッドに帰ろうとして倒れる事件がありました。 リハビリ病院から退院したごろも、はやり以前の感覚で自分でものをしようとして倒れることが数回ありました。毎回、近所…

リハビリ病院

リハビリ病院は普通の病院のように手術などはせず、主に泊まりながらリハビリ訓練をします。法律的に6ヵ月までいられます。ただし途中で病気が悪化した場合は救急車で緊急病院に搬送されます。 母と同室の女性も急に具合が悪くなり、救急車で搬送されました…

デイサービスを探す

通常ではケアマネージャがデイサービスを探していただきますが、運が悪く病院で紹介されたケアマネージャは私にデイサービス一覧を掲載された紙を渡して自分で探すように言われました。 後から分かりましたがこのようなことはあるはずがありませんが、始めて…

救急車に道を譲る

横浜では救急車が交差点に近づいたら回りの自動車や歩道者は止まりますが、都内では交差点に救急車が来ているのに自動車や歩道者が止まらない場面を度々見かける。 信号を一つ待つとしても数分なのに、他の人の命よりも自分が早く行くことを優先している。 …

日曜日のランチ

天気にもよりますが、土曜日に買い物に行くので、日曜日が雨でなければ母との散歩は日曜日にすることが多くありました。散歩に行く前のランチはデイサービスで出ないようなランチにしていました。 ご飯だけでは飽きるので、時々焼きそばなど簡単に食べられる…

どのような食事をしているのか?

デイサービスの食事をそんなに食べない母の体重が減らたいので不思議に思われる人たちが送りの時に聞くのは内ではどのような食事をしているのかです。前にも述べたように同じものを出さないようにしています。 高血圧なので塩分を控えめにしてお酢、野菜、果…

高齢者の食事

高齢者にとって食事は楽しみの一つである。特に私の母のような障害者の場合は一人で歩けないため、楽しみとしては食事と散歩でした。 そのため、食事については色々と工夫をしていました。例えば同じ物を繰り返して出さないようにしていました。しかし、私の…

車椅子とベッドを撤収

今日、借りていた車椅子とベッドを業者が取りに来ました。 ベッドが無い部屋は少し広くなりました。 しかし、毎週のように散歩で押していた車椅子を持ちされるのは寂しいです。 人形町、お台場など東京の散歩や材木座、新逗子など鎌倉での散歩、伊勢への旅行…

リハビリ病院の入院

緊急病院からリハビリ病院の介護タクシー台は一万円と少しでした。 介護費は税金から引くことができるので掛かった費用はすべてレシートをもらい、整理して保存して置くと便利です。 病院に着くと検査をすると言い、母を別は別の部屋に連れて行かれ、その間…

脳内出血した時

母は6年前に脳内出血をして緊急入院した。 それまではまったく病院とそんなに関わることがありませんでしたので、どのようなことになるのか考えたこともありませんでした。 運ばれた母は1日で意識が戻りましたが話すことも自分で起きることもできませんで…

忘れられなくなった元年

私には、礼和元年は忘れることができない日になりました。 6年前にの4月に脳出血を起こして右側が麻痺していた母が5月1日に再び脳出血を起こし、翌日の5月2日の朝に亡くなりました。 2人住まいでしたので私が仕事をしながら介護するのは大変だと言い…